愛って難しいね


仕事とか、サークルとか、地域の自治会とか。それこそ、保育園のママ友、スポーツジム友…、あげたら限りがないですね。
どこもかしこも全部、愛が無いですね。
こんな日記を書いてるわたしも‘あたえる愛’が足りないかな。修行が足りんのね。

やっぱり、人って、愛されていることを確認できなかったら不安なんじゃないかな?
‘愛’って言っても、恋人だけじゃなくて。
家族愛、兄弟愛、信頼し合える友人がいることだって、助け合える同僚がいることだって愛だと思うし。動物をかわいがるのだって、震災募金することだって、丁寧な言葉を選ぶことだって、ありがとうって言うことだって、愛なんじゃないかな?
でも、そういうことに乏しくなってしまっていたら、自分から‘あたえる愛’を心の隅っこにも置いて無くなってしまったら、つまらないのではないかしら?

みんながみんな、相手に求めてばかりでは、いつまでたっても求めてばっかりで、愛なんて自分に入ってくるわけないじゃないかしら?
みんながみんな、相手にほんの少しの愛をもって接したら、自分にだってみんなからほんの少しでも愛を感じることができるじゃない?

もし、嫌な気分にされたとしても、そんなこと気にもせずにサラッと優しくできたら、そんな人はきっと素敵だよね?


どうして‘嫌な気分’にさせられてしまうのかしら?
例えば、つっけんどんな言い方、言葉の選び方、態度、それが理不尽だったら悲しい気持ちになりますね。
どうして?
もしかしたら最初に原因をつくってしまったのは自分かもしれない。
自分の発言や行動が、もしかしたら相手を傷つけてしまったのかもしれない。

どうして相手が傷ついたのかしら?

…それは、多分…、
…自分に期待をしていたからですよね?
期待していたのに、そうでは無かった。裏切られた。
‘わたしがこうしたのに、あなたはそうしてくれなかった’と恨み、妬み、嫉妬するのです。


期待に答えるためには?…と言うか、答えられなくても良いと思うのですが…。
まずはやっぱり、相手に対する愛につきるのではないでしょうかしら????
期待には答えられないかもしれないけれど、誠心誠意でもって接すれば、きっと分かってもらえるのではないかしら?

サラッと優しくできたら、そんな人はきっと素敵ですよね?


大好きな人は大好きだし、信頼する人は信頼してます。
こういう気持ちは、ちょっとくらいの波風で揺らいだり吹き飛ばされません。
こういう気持ちって、ある意味‘愛’なんだけどな。。。