手紙


新幹線の改札口から流れ出てくる人の中に、わたしは彼女の姿を探している。
スペインの旅行で一緒になった彼女。ひと月に2度も3度も手紙をくれる彼女。お姉さんな彼女。今日、1年半ぶりに再会する。
時計は9時31分を指し、停車していた新幹線はもう発車してしているはずなのに…。わたしは振り返って、過ぎた人込みを何度も確認した。改札を出てくる人の数もまばらになった頃、大きな荷物を持った細くて小さな女性が一人、彼女だ。
思わず手をふった。
彼女もすぐ気付いてくれて、手をふってくれている。口の形がわたしの名前をかたどっているのが分かった。
「良かった〜!乗ってないかと思ったよ。」彼女が改札から出るとすぐに細いその手を握った。
「ごめんごめん。ちょっと…トイレ。」そう言って恥ずかしそうに笑った。
「本当に久しぶりだね。元気だった?会えて良かったよ。」わたしは彼女の持っている荷物の1つを受取り、天気が雨降りで残念だの、太っただの、焼けただの、あれこれ近況を説明しながら駐車場まで歩いた。


わたしが運転で、彼女が助手席。
「かわいい車だね。」運転をしない彼女は、隣に駐車してあった大型のジープと比べてそう言った。
宇都宮駅から杉並木を通って日光へ向かった。
日光駅前通りは、平日のせいか、雨のせいか、観光客もまばらだ。霧のような細かな雨と鈍色の空が古い町並みを一層しっとりとさせているようだ。わたしは湯葉屋や羊羹屋を紹介しながら神橋を過ぎ、いろは坂へ向かった。
いろは坂中禅寺湖も濃い霧に包まれて、景色どころか信号機さえ見えない。
「景色が見えなくて、残念だね。」せっかく東京から来てくれたのに、申し訳なくて謝った。
「ううん。ようちゃんに会いに来たんだから、いいのよ。」彼女は穏やかな口調でこたえてくれた。

戦場ヶ原まで来ると濃い霧は晴れていた。大きなザックを背負ったハイカーたちとすれ違う。戦場ヶ原は以前歩いたことがあったので、いくつもの散策道があることや、季節ごとに表情を変えてくれるこの自然を説明することができた。
「素敵ね。」遠くの湿原を眺めて、彼女はそう言ってくれた。湿原が見えて良かった。わたしはほんの少しほっとした。


湯の滝は前日からの雨でたっぷり流れ落ちていた。観瀑台には細かな水しぶきが吹き掛けている。わたしたちは見知らぬ男性に頼んで写真を撮ってもらった。それから湯の滝周辺の散策道を40分くらいかけてゆっくり歩いた。森の中の草木は雨できれいに洗われて、木々の隙間から差し込む陽射しでキラキラ光っていた。古木に生えた苔やキノコもキレイ。わたしは足元に落ちていた赤く染まった木の葉の中から一番きれいな1枚を拾って、彼女に手渡した。
湯の湖もすばらしい景色を見せてくれた。下の雨降りが嘘みたい。湖の水面には、向こう側の山々がすっきりと映っていた。


お昼ご飯は、湯葉料理の老舗を1時に予約しておいた。お座敷のお部屋から中庭が見えて、縁側には下駄まで用意されている。わたしたちは、小雨の降る中、下駄を履いてはしゃいだ。
二人で食べる湯葉料理も本当においしかった。その美しさに一品一品写真におさめようとしたが、目前に出されると撮ることをすっかり忘れて箸をつけてしまう。その繰り返しだった。
デザートの豆乳黒糖ゼリーも御抹茶も全部残さずに、おいしくいただいた。
食事が済むと、お目当てのお煎餅屋と羊羹屋の位置を確認して店を出た。


お土産のお煎餅屋でえびせんをつまみ、それから羊羹を買い、鬼怒川から日塩有料道路へ向かった。
日塩有料道路は睡魔との戦いだった。湯葉で満たされたおなか。心地よい右カーブ左カーブ…。。。危険運転要注意!彼女をヒヤヒヤさせてしまったかも知れない…。


料金所を出て、元湯に着いたわたしたちは温泉に入ることにした。温泉は、冷え性だと言う彼女の希望だ。爆裂火口を目上に見える温泉旅館に入ってみたが、日帰り入浴は3時までと断られた。仕方がないので、ずっと下まで降りてきて、硫黄の匂いも素っ気無い温泉とは名ばかりのお湯に浸かったのだった…。
温泉を出て時刻を見ると5時を少し過ぎていた。
那須にも行ってみる?」温泉のロビーに置いてあった那須マップを広げて見せた。
「ここに行ってみたい。」お土産品や輸入雑貨など、いくつかテナントの入ったショップを指差して彼女が言った。
「6時半までだ。急がないと。」わたしは那須に向かって車を出した。


那須も雨だった。6時も近くなると車の通りも少ないし、何より暗い。
「田舎の夜は早いのね。」彼女はクスクスと笑った。
店に入ると、お菓子のお土産や地元産の果物で作ったジャムやドレッシング、ハーブで作られたキャンドルや雑貨の数々。そして甘い香が漂っていた。
「この中だったら、どういうのが好き?」かわいらしい陶器の食器が並ぶ店で、カップとポットが重ねられたティーセットを指差して彼女が言った。
「わたしだったら〜、これかな。」わたしは花柄のカップの中で、白くて一番シンプルなそれを指差した。
「ふ〜ん。こういうの好きなんだ。」
「好きって言うか、この中だったら。」
それから彼女はあれこれ店内を見て、お母さんに小物入れと、自分にと言ってフォトスタンドを選んでいた。
「ちょっと待っててね。」
彼女が会計を済ませている間、お財布だけを握ったわたしは、何を購入する訳でもなく、ただ店内のあまりに可愛すぎる食器たちをふらふらと眺めて待った。
少し前に入ってきた初老の夫婦が、‘ガラスでできた金魚鉢風のペーパーウエイト’の値段が100円だということに大声ではしゃいでいる。そんな二人の話に気をとられていたら、レジにいたはずの彼女を見失ってしまった。
「これも会計に追加してください。」振り返ると、彼女はわたしが指さしたティーセットを店員に差し出していた。
「なんで!?」とっさに差し出された手を引き戻した。
「いいのよ。今日はとても楽しかったから。」彼女はすこし間をおいて‘お礼に。’と付け足した。
「…ありがとう。」素直にいただいてしまった。

それから雨降りの真っ暗な那須街道を上り、イタリアンのお店で夜ご飯にした。席が準備されるまでの時間、さっきの‘金魚鉢の夫婦’にまた会ってしまい、わたしはちょこんと頭を下げた。
二人でおなじ魚料理を注文し、おなじデザートを食べ、おなじ飲み物を飲んだ。
「お昼は湯葉だから、イタリアンでもカロリーは全然大丈夫。」わたしも彼女もパン以外残さず食べた。
9時の新幹線で東京に帰る。もう、ここを出なくちゃ。
雨は無情にもどんどん強くなっていた。


那須塩原の駅は送迎の自家用車で芋荒い状態だった。エスカレーターから少し離れた所にしか停車できなかった。
「雨なのに近くに停められなくてごめんね。」雨の中、後部座席の荷物(お土産のお煎餅や羊羹)を取り出した。‘傘も!’手にした傘を開こうとした時、
「ここでいいよ。すぐそこだし、大丈夫。」そう言うと、わたしの手からさっと荷物を受取るとあっという間に駅の屋根下へ逃げ込んで行ってしまった。
「またね!また、会おうね。」立ちつくしたわたしの声は、雨に消えて届かなかったかも知れない。


スペインの旅行で一緒になった彼女。
ひと月に2度も3度も手紙をくれる彼女。
お姉さんな彼女。
大きな荷物を持った細くて小さな女性は、
改札を出るとすぐに握ったその細い手の女性は、
本当は、わたしが知っている彼女じゃなかった。


黒髪は真っ白になり、頬の筋肉もおちて、別人だった。
小さくなってしまった彼女の肩を、細くなってしまったその手を
わたしは今日、一日中、離すことが出来なかった。


こんなに適当な‘さよなら’になってしまってごめんなさい。
‘ありがとう’ってちゃんと言えなくってごめんなさい。
そして、もし、あなたのくれた手紙の数がSOSだったなら、
気付いてあげれなくてごめんなさい。
あなたのくれた手紙の、すべてを嬉しく受取っていたのではないのです。
ひと月に何度も届く手紙を、面倒だと思ったこともありました。
こんなわたしにお礼なんて言わないで。
それなのに、わたしは!!!


せっちゃんへ
この間は、本当に会えて嬉しかったよ。
また、必ず会おうね。
また、一緒に旅行に行こうね。
紅葉した葉を1枚。心から。
2007.9.14 ようこ