時代が与えた試練か

いつまで経ってもクールな大人になりきれず。
無関心でいられない。
いちいち本気になってしまう子供っぽさ。
わたしの悪いところかな。


考えてみたら、20代の子には…、さすがに無理か。
〝無理〟と言うより、今の時代ではわたしの考え方はもう常識では無いのかも。


拾った財布は警察署に届けるのが人として常識と思って生きてきました。
仲間の手柄を共に喜び、次は自分が自分の力で勝ち取ろうと精進するのが当たり前だと思って生きてきました。


でも今はそうでは無いようです。


〝拾った財布の中身は抜く〟こと、
〝他人のふんどしで相撲をとる〟のは当然、
〝他人の手柄も自分のもの〟〝失敗は相手のもの〟


そういうのが常識な時代なのかも知れない。


でも私は、時代がどう変わろうと、頑固だと言われようと、化石だと言われようと、他人の手柄を自分のものには出来ないし、一生懸命やったって満足のいく点数取れないのに手を抜くことなんてできないし、そういうことを平常にする人間になんかなりたくない。


なので、波長があわないそういう人間は、相手にしないことにしました。


言い方が悪いですが、無関心になるということです。
放っておく。
無理に自分の考えで修正しようと思わないこと。


無関心になる、と言うことは、相当大変な、わたしにとったら、それはそれは大変な、試練です。
育児放棄するということに等しい。(育児したことないけど)


子どもの成長も無いでしょう。
あえて成長を求めない。
ずーーっと大人になって痛い失敗を経験すれば良い。
それまで放っておくということです。
無関心でいる、と言うことです。
こんなこと、考えただけで苦しくなります。
わたしにできるでしょうか?


親心からしたらかわいい子には旅させて、社会に出ても恥ずかしくない躾を身につけさせたいところだけれど。
親の心子知らず、といったところでしょうか。


反抗期だもんね。仕方ないか。
ずーーと大人になってから失敗したら良いですよ。


こんなことが常識になった社会では、誰もの〝心が腐る〟でしょうね。

びっくりさせて、そして心配させてしまって、本当にごめんなさい。
今は、落ち着いていますよ。


落ち着けていますが、残念ながらわたしは変われません。
これは、相手が誰であろうが、同じです。